ウィリアムズは1992年、1993年、1994年とコンストラクターズのタイトルを獲得、加えて1992年はN.マンセル、1993年はA.プロストがドライバーズチャンピオンシップのタイトルを獲得している。
1994年にはA.セナを迎え入れたが第3戦サンマリノGPの事故で帰らぬ人となってしまった。セナの後をD.クルサードが引き継ぎ、最後にはN.マンセルを呼び寄せD.ヒルとともにシーズンを乗り切りコンストラクターズのタイトルを守った。
1995年の8月、ウィリアムズは当時アメリカのインディカー・シリーズのポイントリーダーであるJ.ビルヌーブをシルバーストーンの合同テストに参加させた。ビルヌーブは当時のウィリアムズのエースドライバーであるD.ヒルに迫るタイムを叩き出しその実力を知らしめた。このビルヌーブの走りにD.ヒルは「タイムだけ見でも、ジャックというのは只者じゃないね」とコメントしている。
そしてF1のテストに参加した2週間後にビルヌーブの1996年のウィリアムズ入りが明らかになった。その翌日にはベネトンでウィリアムズのD.ヒルとタイトル争いを演じていたM.シューマッハのフェラーリ入りも明らかになっている。
3年連続でタイトルを守ってきたウィリアムズだが、1995年シーズンはM.シューマッハ率いるベネトンにタイトルを奪取される。
こうした中、J.ビルヌーブはインディ500で勝利、インデイカーシリーズでもチャンピオンを獲得して鳴り物入りでF1に参入してくる。
1996年開幕戦、ビルヌーブはいきなりポールポジションを獲得し鮮烈なデビューを果たす。決勝ではチームメイトのヒルに破れ惜しくも2位になるがF1参戦1戦目でポール&表彰台にファステストラップという偉業を成し遂げた。
第2戦はリタイアに終わるものの、第3戦では再び2位。そして第4戦目にして初優勝を飾る。
ビルヌーブはこの年、4勝を勝ちとる。チームメイトのヒルが8勝をあげドライバーズチャンピオンシップのタイトルを獲得、チームもコンストラクターズのタイトルを奪還した。
翌年の1997年、D.ヒルが移籍しビルヌーブがウィリアムズのエースドライバーとなる。そして7勝をあげわずか2年目にしてF1の頂点に立った。
1999年に新生のBARに移籍し2001年には一時撤退していたホンダの復帰後初の表彰台を獲得したが、長く低迷する。2003年には翌年のシートを佐藤琢磨に奪われることが決まり最終戦の日本GPの出場を辞退した。
2004年第16戦でルノーからF1に復帰、2005年はザウバーで走る。かつての輝きを取り戻すことができるか。
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