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2008/05/14

日本のファンの夢

ホンダはF1参戦を果たした第一期に優勝を経験した。
第二期はエンジンサプライヤーとして黄金期を築いた。
日本のファンは母国の企業がF1というフィールドで天下を獲るという希望を叶えてもらった。

さらにホンダはこの黄金期に日本人初のフル参戦となる中嶋悟をF1に引っ張り上げた。日本人ドライバーがF1で
走るという道をつけてくれたのだ。
このようにホンダは日本のファンの夢をひとつひとつ叶えてくれてきた。

日本はバブル景気も手伝って、その後鈴木亜久里、片山右京と次々と日本人ドライバーを担ぎ出してきたが、バブルの崩壊とともにホンダを含め、スポンサーとして参加していた日本企業が次々と撤退していった。

この苦しい時期に頑張っていたのは中野信二と高木虎之介だ。
その才能を発揮することなく二人はF1から去っていき、日本人ドライバーはF1フィールドから再び消えてしまった。

そこに再び姿をあらわしたのは佐藤琢磨だ。
琢磨は英F3でチャンピオンを獲得しホンダとともにF1にやってきた。
日本のファンは新たな夢の実現に期待することになる。
それは日本人ドライバーが表彰台の真ん中に立つことだ。琢磨+ホンダでその夢を実現させて欲しいということだ。

2004年、その夢が一気に現実に近づく。
琢磨+ホンダで鈴木亜久里以来の3位表彰台、予選2位でフロント・ローを獲得する。

しかし、何故かホンダは琢磨をオールホンダから締め出す。バリチェロを獲得しバトンを残留させたことにより日本のファンの夢の実現はまた遠のいてしまった。

スーパーアグリF1チームのF1参戦をバックアップし、日本のファンの夢を諦めさせないでくれたのかと思ったが、それも僅かに2年ちょっとで撤退となってしまった。

奇しくも中嶋悟の子息である中嶋一貴が名門のウィリアムズからフル参戦を果たし、日本のファンの夢である日本人ドライバーの優勝は今のところ彼に託される形となったが、このままではこの夢の実現にホンダの姿はないことになる。

琢磨+ホンダはもう見ることができないのだろうか。

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