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2006年8月

2006/08/29

アロンソ、タイトルに近づいた?

トルコGPでアロンソの前を走っていたM.シューマッハ、そのまま行けば、ポールからスタートしていたマッサに追いついてトップに立ったのだろう。

しかし、セーフティー・カーが導入されることになって状況が変わった。
フェラーリはマッサとM.シューマッハを同時にピットに入れる。一度に作業できるのは1台だけ。M.シューマッハはマッサのピット作業を待つしかなかった。M.シューマッハがピット作業を終えたときには、アロンソもピット作業を終えコースに戻っていた。

M.シューマッハは珍しくコーナーでコースを外し、タイムロスも喫する。これによりアロンソとの差がやや広がってしまった。それでもアロンソに追いつくが、最後まで失ったポジションを取り戻すことができなかった。

これでアロンソとM.シューマッハの差は12ポイント。M.シューマッハが残り4戦を全勝しても、アロンソが2位と3位を2回ずつでやっと同点だ。

残り4戦、どんなドラマがあるかはわからないが、アロンソが有利になったのは間違いない。

2006/08/28

第14戦トルコGP、マッサが初ポール初優勝

フェラーリのマッサがポール・トゥーウィンを決め初優勝を飾った。前戦ではバトンが初優勝を決めたので、2戦連続で初勝利の優勝者が続いた。
しかし、TV中継の映像はアロンソとM.シューマッハのバトルを捉えており、マッサがチェッカーを受けるシーンが見られなかったのはちょっと残念。確かに二人のバトルは熱かったので仕方がない面もあるのだが・・・。

スタートで多重クラッシュがあったものの、あちこちでバトルが繰り広げられる白熱したレースだった。そんな中、スーパーアグリは山本左近が今回も完走を果たすことができず、オープニングラップのアクシデントで佐藤琢磨は周回不足で完走扱いにならなかった。また次に期待したい。

2006/08/20

モントーヤのデビューを振り返る

1990年代、ウィリアムズはマンセル、プロスト、ヒル、ビルヌーブを擁し5度のチャンピオンを獲得した。しかし、1998年、ルノーが一時撤退しチームも力を失っていく。1999年にはF1からCARTに転向しチャンピオンを獲得したザナルディを再び迎え入れたが、思うような結果を出せなかった。

2000年はBMWエンジンを搭載し、ラルフとバトンというコンビで臨んだ。この年にF1デビューを果たしたバトンは6度の入賞、最高位4位という結果を残すが、チームは2001年はCARTチャンピオンであるモントーヤの起用を決めた。

モントーヤは第1戦、第2戦はちゃんとしたレースをすることができず、リタイア。第3戦ブラジルGPでは予選4位、スタートで2番手にジャンプアップする。コース上にとまっているマシンがあるため、セーフティ・カーが入る。セーフティー・カーが外れてレースが再開すると、モントーヤは1コーナーで皇帝M.シューマッハに挑み、シューマッハをはじき出す形でトップを奪う。

トップを快走していたが、周回遅れのマシンとの接触でこのレースも完走することができなかった。しかし、M.シューマッハにでさえ遠慮しないこの走りがモントーヤを印象づけた。

第5戦、第9戦と2位、第11戦も4位に入るも、同僚のラルフ・シューマッハは既に3勝を上げる活躍を見せていた。
第15戦イタリアGP、前年ウィリアムズに在籍し、CARTに復帰していたザナルディがレース中に両足切断の事故に遭うという報が入った。このレース、モントーヤは3度目となるポールを獲得、猛追を見せるフェラーリのバリチェロを抑え、堂々の初優勝を飾った。

翌年、モントーヤは7度表彰台に上がるが、勝利には恵まれなかった。2003年は2勝、2004年は1勝、2005年はマクラーレンに移籍し3勝を上げた。

まだまだF1での活躍が期待できるモントーヤであったが、アメリカに渡りNASCARに転向することを決めた。マクラーレンは契約の満了を待たず、モントーヤを放出、2006年シーズン途中でF1から離れることとなってしまった。

「暴れん坊」と呼ばれたモントーヤはそのレーシングスタイルはNASCARに向いているかも知れない。近年、FIAはレースを面白くする(?)ための施策を次々と繰り出している。しかし、印象的な走りを魅せたモントーヤのような存在があることの方がどんな施策よりもレースを面白くするのではないだろうか・・・。

2006/08/14

来る者、去る者

2006年シーズンのタイトル争いはアロンソとM.シューマッハの一騎打ちとなった。
そのアロンソは来シーズン、マクラーレンに移籍することが決まっている。M.シューマッハは引退か残留かが噂されている。

ライコネンはM.シューマッハ次第でフェラーリに移籍するかも知れない。ライコネンとM.シューマッハ次第ではマッサがシートを追われるかも知れない。

ウィリアムズはウェバー放出を決めた。これによりブルツがレギュラードライバーに復帰する。
ウェバーはレッドブルに移籍、クリエンがシートを追われる。

モントーヤは「F1には飽きた」と自らシートを明け渡した。代わりにデ・ラ・ロサがレギュラードライバーをつとめているが、今後のシートを約束されたわけではない。
かつてのチャンピオンのビルヌーブは彼のプライドのため、チーム離脱を決めた。チームがビルヌーブを追い出してでも試したかったクビカはこのままレギュラードライバーに収まることになるかもしれない。

F1ドライバーは僅かに22名。新しい者が現れれば、誰かが去るしかない。

2006/08/07

第13戦ハンガリーGP、ホンダ、バトンに悲願の勝利

これまで雨が降ったことがなかったハンガロリンクだが、決勝のこの日は違った。雨に翻弄されたレースは荒れた展開となる。山本左近がいきなりコースを外れたかと思えばウェバー、クリエンなど次々とリタイア、ポールのライコネン、ポイント争いを演じているアロンソとM.シューマッハ(完走扱い)までもレースを走りきることができなかった。

そんな展開の中、ホンダのバトンが見事初優勝を飾った。F1参戦113戦目の初勝利だ。バリチェロ、トゥルーリに次ぐ遅咲きの勝利だが、これでひと皮向けて勝利数を重ねていくことができるだろうか。

ホンダにとっても待ちに待った勝利だ。2000年に復帰を果たした第3期参戦としてようやく初勝利をあげることができた。再び黄金期を築けるか期待したいところだ。

佐藤琢磨はミッドランドの前でフィニッシュすることはできなかったが、まずはSA06を完走まで持ち込んだ。ウェットコンディションでのテストなんてしていない出来立てのマシンで完走を果たした。
きっと有用なデータが採取できたに違いない。トルコGPにはフロント周りも新しくなり、SA06の完成形ができあがる。ミッドランドの前に出るのはそれからだ。

2006/08/03

ブルツ、念願叶う

ウィリアムズが2007年のドライバーを発表した。
ウェバーを放出して第3ドライバーのブルツを昇格させるというものであった。

来年はトヨタ・エンジンを搭載することも決まっており、技術的にもスキルの高いブルツは的確なフィードバックが可能でエンジニアとのコミュニケーション能力もある。これがブルツを昇格させた決め手となったようだ。

第3ドライバーにただ甘んじていたわけではないブルツは、常にレギュラードライバーに復帰することを目指していた
ブルツは今年マクラーレンからウィリアムズに移籍した。
マクラーレンではモントーヤがシーズン途中で離脱、デ・ラ・ロサがその代役でレースを走っているが、ウィリアムズでは代役ではなく、れっきとしたレギュラードライバーとしてレース復帰を果たすことになり、ブルツの選択は正しかった。
来シーズンのブルツの走りが今から楽しみだ。

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東京モーターショー2005&2003

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    2005年と2003年の東京モーターショーで展示されたF1マシンです。

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