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2005年2月

2005/02/27

F1耐久レースと呼ばないで

2005年のF1は大きくレギュレーションが変更される。
安全面からの考慮から、マシンはフロントウィング高さなどでスピードを抑える目的のレギュレーションになった。
更にF1にかかるコスト削減を目的に、2004年の1レース1基のエンジンから、2レース1基のエンジンに、タイヤは1レース1セットのタイヤ(これはスピード低減の目的もある)のみ使用することを許され、レース中のタイヤ交換はパンクチャーなど以外では基本的に禁止となった。

マシンのパワーが増しスピードも増せば、安全面への対策もそれにあわせて打っていかなければならない。この面でのFIAの努力は素晴らしく、最近では大きなアクシデントが起きてもドライバーが身体的に大きなダメージを受けることが見られなくなってきている。

プライベーターが次々とチーム運営に破綻、チーム売却などの憂き目にあっていること、資金が潤沢であるフェラーリがここ数年圧倒的な強さを見せていることなどでコスト削減は最近になって課題になっている。

しかし、今回のレギュレーションについては既にいろいろと言われている。
1戦目でフィニッシュできなかった場合はペナルティなしに2戦目に新しいエンジンを使用できる救済策がとられているが、これは1戦目でポイント獲得がならない場合、あえてレースをフィニッシュせず、2戦目で新しいエンジンを得るということを引き起こしかねないという話がその例のひとつだ。
また、エンジン、タイヤを壊さないように走らねばならなくなることから、バトルがさらに減るのではないかとも危惧されている。

2004年、佐藤琢磨の走りに多くの人たちが魅了された。琢磨の果敢に攻める姿勢は間違いなくレースを盛り上げた。今回のレギュレーション変更により何人かのドライバーは自らのドライビングスタイルを変えなくてはならなくなると言われており、2004年の琢磨のような果敢に攻める走りは陰を潜めるかも知れない。

これらは実際開幕してみないとなんとも言えないのかも知れないのだが、"F1耐久レース"にはならないことを期待したい。


2005/02/13

N.ハイドフェルドのF1デビューを振り返る

1999年、アラン・プロスト率いるプロストGPは成績不振にあえいでいた。
1997年にチームを立ち上げ、搭載したエンジンは無限ホンダ、ドライバーは日本人ドライバーの中野信治とフランス人ドライバーのO.パニスだった。この年、パニスは最高位2位、中野信治も2回の入賞と初参戦としてはまずまずの成績をおさめた。

オールフランスを目指していたプロストは翌年の1998年プジョー・エンジンを獲得する。ドライバーも中野信治に替わりJ.トゥルーリが収まった。しかし、この年プロストGPはトゥルーリの6位入賞がたった1回という成績に終わった。

1999年も序盤でパニス、トゥルーリが1回ずつ6位入賞を果たすが、リタイアが続く厳しい状況だった。
そうした中、プロストは2000年のドライバーとしてJ.アレジを獲得、更にマクラーレンのテストなどに参加していたドイツ人でメルセデス傘下のN.ハイドフェルドを起用することを決断した。
これによりパニスはレギュラーシートを失うことになった

ハイドフェルドはこの年国際F3000で活躍する傍ら、マクラーレンのテストにも度々参加していた。ハイドフェルドはテストで当時のエースドライバーであったハッキネンに迫るタイムを出すなど、彼の才能にはマクラーレン以外の他のチームも関心を示し、ジョーダンやザウバーからの獲得が噂された。

いろいろと噂されたがハイドフェルドはマクラーレンからレンタルという形で1999年シーズン途中からプロストGPでテストに参加、国際F3000チャンピオンのタイトルを引っさげて2000年にプロストGPからF1デビューを果たすことになった。

プロストGPは資金難にも苦しめられていた。この資金難はチームの成績にも影響、さすがのハイドフェルドも17戦中6回完走、入賞なしと苦戦を強いられた。

2001年、ハイドフェルドはザウバーに活躍の場を移す。チームメイトはこの年F1デビューを果たしたK.ライコネンだ。ハイドフェルドは第1戦で4位入賞、第3戦で3位表彰台に上がり、ルーキーイヤーで発揮できなかったポテンシャルをいきなり世界にアピールした。

ハイドフェルドは2003年までザウバーで走り、2004年にはジョーダンに移籍したが、2001年が最も輝いた1年だった。2005年はウィリアムズに移籍するハイドフェルド、2001年以上の活躍が期待される。


2005/02/07

腰は大事に

この半年ぐらい残業続きの毎日で1月はブログの書き込みもしなかった。
このご時世で仕事が忙しいというのもありがたいことではあるのだが、さすがに体力的に厳しくなってきたようだ。

数年前、あるプロジェクトに参画していたとき、やはり残業続きの毎日を過ごしていた。プロジェクトの期限を目前にしたある日の朝、突然立ち上がれなくなった。ぎっくり腰だ。
長時間のデスクワークに運動不足なども重なり腰を痛めた。

ストレッチや適度な運動をすることを医者からすすめられたが最近はまた疎かになってきている。
あれからぎっくり腰にはなっていないが、椅子から立ち上がるときでさえ一瞬不安になることもあり常に不安がつきまとう。
ちゃんとストレッチをしなくては・・・。

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東京モーターショー2005&2003

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    2005年と2003年の東京モーターショーで展示されたF1マシンです。

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